2002年10月10日、ノーベル化学賞に日本の田中耕一さんが選ばれました。
同年にニュートリノ観測の実績でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんはいわば当然の受賞で、何年も前からマスコミからマークされていた分、当時ほぼ無名だった田中耕一さんの受賞は予想外でした。
マスコミによる取材合戦の結果もあって、田中耕一さんは一躍時の人となりました。
出身は東北大学で、なんと学部出身。いわゆる博士ではなく、学部出身であるというところに彼の人気があるようです。
また、本業は学者ではなくサラリーマンでした。サラリーマンの星とも呼ばれ、同世代の働くお父さんに勇気と希望を与えました。
ノーベル化学賞として認められた功績は「ソフトレーザーによる質量分析技術の開発」でした。
難解な分野にもかかわらず、何年もかけて地道に作業をし続けたその姿勢に共感や尊敬を覚えた人も多いようです。
また、ノーベル賞を受賞したことに対して、所属する島津製作所が得られた広告効果は八億円とも言われています。
本人はノーベル賞級の功績に対して特許の報奨金が一万円だったそうですが、それに対して不満を漏らさなかったというエピソードも彼の人気を支えています。
彼の純粋な研究に対する熱意や素直さが、ここまで人気になった理由の一つと言えそうです。